逍遥遊(荘子に見られる遊び)ー遊びと感情の関係性ー

2019年10月15日

 古代中国の思想においても「遊び」の重要性が説かれていたのは驚きですね。

今回は、逍遥遊という言葉を軸にして遊びの特徴を再び見つめ直し、今の私たちにどのようにしてこの概念が通用するのかについて見ていこうと思います。

1:逍遥遊とは

 逍遥(ショウヨウ)とは、ざっくり言うと、あてもなくぶらぶらと彷徨い歩く姿の事を表します。

遊というのは、言うまでもないですが遊びのことです。

逍遥遊とは、何物にも依存しない立場、絶対独立の境地、徹底した自由を意味します。

何にも依存せず、ぶらぶらとふわふわとした状態にあり、その状態を維持しながら遊びに徹する、と言い換えることが出来そうです。

イメージ的には、ふわふわっとした気持ちで何も考えずに何かをすることが遊びであると言えそうです。

では、この仮説を詳しく確かめていきましょう。

2:依存

何にも依存しないとはどういうことなのでしょうか?


依存する対象は他人であると真っ先に浮かびそうですが、ここでは自分の心、感情に依存する状態について見ていこうと思います。


自分の気持ちに左右されて動くことが感情に依存している状態ではないのかと考えるからです。


自分の感情というのは、何か出来事が起きたことに対する心の反応です。



感情を表すことは、その出来事が自分に対してどのような影響をもたらしたかを知るために重要です。



ただし、この感情にとらわれすぎて怒り任せに行動するなどの危険な行為に走ることとは異なることに注意してください。


あくまで、感情は出来事の捉え方の一種の形であり、感情そのものが主体ではないのです。



この感情にとらわれたまま行動することこそが、感情に依存している状態であると言えます。




このような事態に陥らないいためには、感情は出来事に対する自分の反応の一部であるという意識をもつことです。





3:適応

感情が出来事を捉える上での指標になるとお伝えしましたが、出来事をどうして正確に捉える必要があるのでしょうか?



出来事を正確に理解したときのメリットとはなんでしょうか?


私たちは悪い出来事(災害など)を防止しようと励みます。


しかし、出来事は人間の意志に依らず起きてしまいます。


ですから、嫌な出来事から目をそらしたり、抵抗しようとするのではなく、それを甘んじて受け入れる姿勢が必要です。



起きてしまったものはしょうがない




この意識のもとでなければ、出来事を正確に捉えることはできません。


この意識の次に出てくる思考は、どうすべきか?という問いでしょう。




つまり、出来事を正確に捉えることによって、それに対するアプローチ法、対処法が見えてくるのです。





4:忘却

 感情任せの行動をせず、出来事を正確に捉えることができたならば、何をするべきかが明確になっているはずです。


言い方を変えれば、遊び方がわかったということです。


遊び方がわかればどこにエネルギーを注ぎ込めば良いのかが認識できているのでいよいよ遊びそのものをすることになります。



遊んでいる中で段々と意識が一体化してきて、いわゆる時間を忘れ、我を忘れるような状態になる時があると思います。



遊びの目指すべきはまさにこの忘却であり、自分の存在すら忘れてしまうほど夢中になることが遊びの本質です。





まとめ

遊びのキーワードとして依存・適応・忘却を取り上げてみました。



今回はっきりしたことは、

1)遊びが感情に依存しない行動であること

2)いい出来事でも悪い出来事でも起きたことに対して甘受することによって、できごおを:正確に捉えることができ、出来事に対する適応の仕方、遊び方が見えてくるということ

3)遊んでいる時は無心になっており、ただ遊びそのものと一体になっているような感覚を覚えること


の3点です。





遊んでいる時は、実は感情は無いことが驚きです。


遊びの境地に至るためには、感情の扱い方が鍵になるということが発見できましたね。

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